昔こんな内容の本を読んだ事があります。
ある外国人の聾唖者の方(耳が不自由な為言葉も思うように発する事が出来ない方)が日本に来て電車に乗って移動している時の出来事です。
一緒に行動する日本人は彼の友達で耳はちゃんと聞こえていて通訳の役割も果たしていました。当然会話は手話になります。
二人が電車の中で会話(手話)をしていると、向かい側に座っている親子がこちらを見ています。
若いママと3~4歳くらいの男の子です。
「私たちの様子に興味を持ったようだ。どんな会話をするのか通訳して下さい。」と頼みます。
すると、男の子がママにたずねます。
「ママ、あの人たちは何をしているの?」
それに答えてママが
「あの人たちはお口でお話が出来ないから、手を使ってお話しているのよ」
すかさず通訳します。
「以前日本に来た時は我々聾唖者に対する理解が乏しく悲しい思いをしましたが、日本人の我々に対する理解はとても深まりましたね・・・」と嬉しそうでした。
二人でとても良い気分になりました。が、次の瞬間・・・
「あなたもママの言うことを聞かないとああなるわよ・・・」
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さすがにこの言葉は通訳出来ませんでした。
この本の題名が「恥ずかしい話」でした。
何とも後味の悪い内容ですが・・・でも、知らないうちに似たようなことをしてはいないだろうか・・・
気を付けたいものです。
ついでにもう一つ
ある聾唖者の母親とその子(男の子)の話です。
この男の子とても歌が上手で、小学校の歌の発表会で独りで歌う事が決まりました。
そのことを母親に伝えましたが、母親は思ったように喜んでくれませんでした。
発表会当日、みんなの期待に応えて素晴らしい歌声を披露します。
母親も様子を観に来ています。
歌い終わって舞台を降りると、先生や友達近所の人たちがみんな「素晴らしかったよ」と声を掛けてくれます。
舞台の上から見えたお母さんの所へ行こうと歩を進めますが見当たりません。
心配になって近くの人にたずねます「うちのお母さん知りませんか?」
「さっきまでここに居たけど・・・何か急いで家の方に帰ったみたいよ・・・」と伝えられます。
心配になって急いで家に帰ってみると・・・・
布団にくるまって嗚咽し激しく揺れる様子が目に飛び込んできました。
「お母さんどうしたの・・・?」何度もたずねます・・・・
やがて真っ赤に泣きはらした目と激しい手話で「あなたは私の子供なのにどうしてあなたの声が私には聞こえないの・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
とても悲しい話です。
日常生活の中で当たり前のことが当たり前に出来ているということへの感謝の心を呼び起こされる話でもあります。
以前ある聾唖者の方にこの話をしたことがあります。
「とても感動するお話です。母親の気持ちがよく分かります」とおっしゃってました。
「私も幼い頃から耳が不自由な性で色んな辛い目に会いました・・・外見が普通の人と全く変わらないので、余計に誤解を与える事が悲しいです・・・」とも。
私が「もし耳が聞こえるようになったら・・・どうしたいですか?」とたずねると
「今耳が聞こえるようになってもどんな大切な言葉もただの雑音ですから・・・このままでいいです」と言う言葉にも心を動かされたのをはっきり覚えています。
自分に備わている基本的な機能の数々・・・無駄にしてはもったいないですね・・・・。
写真の作品は「龍」の文字です。
いろいろ凝って書いていると、本当の龍の頭が自然と出てきました。
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涼介 (木曜日, 23 10月 2014 23:08)
私も子供の頃に、大人に似たようなことを言われました。嫌な気分になったものですが、自分が我が子に同じような事を言っていなかったかと心配になりました。