よく問いかけられる言葉の中に「誰に習ったの?」という言葉がありますが、誰からも教えてもらうことなく現在に至っています。所謂「独学」です。写真は第1回目の個展に出品した作品の一つですが、全く自分の感性だけで楽しんで制作したのを思い出します。
しかし、師は大切なものと考えておりますので自ら師を探すことにしました。結論として人を師とするのではなく「普段生活をしている自分を取り巻く環境の万物から謙虚に教えを請うことを志そう」と考え、それを自らの雅号としました。それが‘志教‘という訳です。ですから、雅号が師であり私の原点です。街を散歩していて、野に咲く草花や建物に寄り添う看板やネオン、表札、広告、等々からその色合いや形などを学んでいます。とても参考になります。そこから得たものが次の作品制作のエネルギーになっているのは確かです。ですから次々に作品を制作することができるのだと思います。飽きもせず・・・。
「あまり無理をしないように、休み休みやってよ・・・」これもよく頂戴する言葉ですが、自分では無理をしている気が無く適当に休んでいるつもりですが、傍から見ていると相当集中しているように見えているのでしょう・・・。ありがたいお言葉です。感謝です。
先日、大学時代の恩師お二人と、総理大臣経験者の方に私の作品を贈呈するというお話があり、快くお受けいたしました。「興味深くご覧になり受け取っていただいた」と、これも嬉しい報告がありました。先人の言葉に「芸術の最大の喜びは、自分の作品を相手の手にしてもらうこと・・・」というようなものがあったと記憶していますが、まさしくそれを実感しています。
これも、次への大きなエネルギーになります。
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北原仁雄 (金曜日, 14 3月 2014 09:52)
独自の境地をお伺いしました。目指すところはよくわかりました。
自分の感性を磨き、それにしたがって創作を重ねておられるものは
何かを開くもののように感じます。今の自分に必要なもの、今の
身近に必要なもの、今の社会に必要なものを制作し続けてください。
田代香子 (火曜日, 12 4月 2016 00:38)
なるほど!
わかりました✨
そういうことでしたか~(^^ゞ